兵庫県議会議員みなみ但⾺選出 藤⽥ 孝夫(ふじた たかお) オフィシャルサイト

ひとり言

藤田孝夫

母が永眠しました

お通夜、告別式に足を運んでいただきご弔問戴きました皆さん、弔電を送って下さった皆さんにお礼申し上げます、誠にありがとうございました。

私は故 藤田英子の長男として生を受けました。晩年母はかるべの郷でデイサービス、ショートステーなどでお世話になっておりましたが、今年1月に体調を崩し、八鹿病院に入院、軽い脳梗塞と肺がんの治療をしていただいておりました。しかし徐々に衰弱し9月4日13時38分、家族に付き添われながら永眠いたしました、享年92歳でした。 年齢と共に、あれだけ快活だった母も人と交流する機会が減り、我々家族もそのことが不憫でした。でも通夜・告別式前の時間中では短歌や俳句、お茶、洋裁和裁、コーラスや大正琴、社交ダンスや旅行、そしていつも近くでお世話になった上網場区の皆さん・・・多くの方々に駆けつけていただき、母も喜んでいることと思います。

母藤田英子は 昭和7年八鹿町岡、田村家6人兄弟の次女として生まれ昭和29年 父藤田孝司と結婚、「豆や」と言って親しまれた頃より株式会社藤田製菓の成長を支えてきました。グンゼの師範科勤務が自慢の母はコンピューターが無かった頃、手書きの伝票発行の正確性、経理処理能力、などに能力を発揮し後の会社発展の礎を父や叔父と力を合わせ創ってきました。 

既製品の流通が今ほど盛んで無かった当時、和裁洋裁の得意な母は大人の古着をバラシてジャンバー、ズボン、スカートなどの子供服に縫い直して私達兄弟は晴れの日に着せられていました。ありがたかったのですが、幼稚園の時持たされた母手製の布製上履き入れはイヤでした。多くの園児は既成のビニール製だったからです。そんな母が使っていた足踏みミシンが電動式などに代わりゴミに出す直前、思い直して母と相談して軒下で保管していたのです。 母が緩和ケア病棟に入院したこの夏、50年振りに引っ張りだしてきて掃除し磨きました。 私や家族の心の奥底に、母を感じる思い出の象徴として足踏みミシンを意識していたのかも知れません。

ご多忙中にもかかわらず、ご弔問頂きまして誠にありがとうございました。
ここに生前賜りました、ご厚情に対し、厚くお礼申し上げます。

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