兵庫県議会議員みなみ但⾺選出 藤⽥ 孝夫(ふじた たかお) オフィシャルサイト

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藤田孝夫

東井先生と木造校舎を掃除する

私が小学校3年生の時、東井先生が校長先生として来られました。先生が来られた頃の八鹿小学校は、表と裏の二棟で、表は真ん中に講堂、職員室、校長室等を配置した木造でした。後ろの棟は火事で喪失し鉄筋コンクリートの四角い箱になっていました。

当時は朝掃除があり、授業前に廊下や教室の床、そで壁、階段の手すり等を雑巾がけします。自分の持ち場と汚れた雑巾を洗い絞る鉄バケツとの間を動く者、しゃがんで床を擦る者、全校一斉の雑巾がけは、まさに「イモの子を洗う状態」だったでしょう。今のようにモップや掃除機は使いませんでした。

東井先生はこの時間、全ての教室廊下を廻って私達に声をかけられます。校長先生に声をかけられる褒められる嬉しさに多くの児童が一生懸命掃除をしていました。自意識過剰、目立ちたい児童に属する私も当然、褒めてもらおうと思ったのでしょう。ある日、床の一部分や階段の手すりの一部分だけを靴磨きでもするように激しく擦っていました。予想通り東井先生は私の前を通られた時褒められました。しかしあくる日、私が掃除した部分は塗装が剥げ艶なく白く変色していました。朝礼で東井先生は、「掃除は力を込めて一気にするものではなく毎日のコツコツとした積み重ねで教室が綺麗に輝いていく」こんな趣旨の事を言われました。 あっ私の事だ!とすぐ気付きました。しかし怒られたという意識はありませんでした。子供心に掃除の作法、綺麗にする法則を教わったと感じたようです。

以来、私は掃除が好きで掃除が得意な人間になったとは言えませんが、掃除機で荒ゴミだけを吸い取る掃除、はたくだけの掃除より、固く絞った雑巾を直に持ち、指先で感じる拭き掃除こそが基本と思うようになったのかも知れません。

 

東井語録や関係本をこの歳になってから読み返す時、先生が感じ言葉にされた事、文字にされたその多くの場面で、ハツラツとした当時の先生方と共に今もあの頃のそのままの私が生きています、八鹿小学校の木造校舎の中で。

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