兵庫県議会議員みなみ但⾺選出 藤⽥ 孝夫(ふじた たかお) オフィシャルサイト

ひとり言

藤田孝夫

デジタル化の意味

桜の宮高校での体罰事件以来、同種の学校問題が全国各地で問題視されマスコミがこぞって取り上げている。負の連鎖のように同じ事故や事件が続くのは多くの人のものの見方が、報道された事に結びつき易くイメージしてしまうこともあるのかも知れない。当面集団生活の場では肩の叩き方(挨拶)をはじめ、人に触れることに慎重にならざる得ない。

話は学校現場についてです。授業とは何か?客観的には時間と場所を同じにして、一年間固定化された教師と生徒が対面で学習することです。しかも場所とは教室ですが、部外者は一切排除されその様子を見ることは同僚である先生間でも行われていない。

あくまで客観的な表現です。さて人間の順応力は好きな方、楽な方を見出しますから、固定的関係が閉鎖されるとどうなるか(これも人ごとっぽい言い回し)家庭では虐待、夫婦では暴力、職場ではパワハラ、そして学校では体罰・いじめ・・・ 目的達成のために理性と感情をバランスさせながらお互いを尊重せねばならぬ事は解っていても、閉鎖空間(解放されていない即ち他人や部外者の目が届かないところ)では自分が優位である行動をとりやすく、この優劣関係はさらに極端になる。また人はその場所に長く居ようとする。

学校の場合、例えば運動部などは、プレーの必要性を頭で理解させトッサの動きにするには動物の肉体的機能性において随分時間がかかる。だから即できるやつを最近では怪物と言う。勢い肉体的痛みで強引に持って行く方が楽となる。指導の横着だが、それでも結果が残せていたことに驚いてしまう。(それが全国レベルとすれば、まだまだ上が望めるってことだ)

では運動部の強い学校は何故強かったのか? それは基礎運動能力の優秀な生徒が集まったからに他ならない。では何故集まったのか?それは過去に優秀な成績をその学校が納めたから。では何故指導者が体罰を繰り返しながらもずっと学校を移動しないのか? それは学校が必要と認めていたからだ。ではトータルで強豪校とは部活指導者だったのか? 残念ながら現実そうです。

学校(校長・教育委員会)のせねばならない事、それは指導者に居座らせることではなく、変わってもらう(定期的な人事異動)こと、強い運動部を創るために必要な指導方法を定量的に解析し法則化することです。 学業・授業も同じです。授業風景は公開、あるいはビデオ録画し、先生は自分の話し方や教え方、生徒の反応など、研修することは当然だと思える。 学校他 公的機関で一番遅れているもの、それはデジタル化です。 教育は定量数値では測れない! 嘘です。 一つの指標では確かに測れませんが、測る尺度をこれから創っていかねばなりません。

解りやすく言えば・・・

一人前のすし職人になるには「飯炊き3年、握り8年」と言われ10年以上かかるとされてきました。しかし私達が普段食べているすしはパートさんの手による物で、3日間のレッスンを行いデータ化されたレシピとそのための装置で創られたものです。味?人間の味覚では全く同じです、違いは解りません。

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